E.エルスが教えたT.ハミルトン全英Vの厚み
USPGAツアー
苦労人のトッド・ハミルトン(米)が全英オープンに優勝し、これまでの転戦生活が注目されている。
名門・オクラホマ大ゴルフ部でオールアメリカンにも選ばれたほど将来を嘱望されていたハミルトンだが、米ツアーQスクールに失敗。ここから始まった苦難の日々は、長く続いた。
太平洋を渡って遠くアジアンツアーに参戦。「91年後半から92年前半にかけてアジアでプレーしている頃には、あまりに安定しないゴルフが続いて、もうやめることを考えていた。スポンサーがみんなで資金を出し合って、もう1年やらせてくれようとしていることなど知りもしないで」と、苦笑しながら振り返るハミルトン。だが、92年の同ツアー総合優勝で、日本ツアーへの切符を獲得し、舞台は日本へと移った。
アジアに比べて賞金が高く、移動も楽な日本でハミルトンは98年までに7勝。経済的には楽になったものの、その後、再びクラブを置くことを考える。
98年ジュンクラシックを最後に優勝から遠ざかり、この春、長男タイラー君出産以来、ジャッキー夫人が米国に帰ってしまったこともあり、心身ともにボロボロになった。だが、ハミルトンはあきらめず、5度の失敗にめげることなく、米ツアーQスクールに挑戦し続けた。
そして2003年、ついに日本で復活。4勝を挙げて賞金ランク3位となり、同時に念願の米ツアーカードも手に入れた。そして今年、米ツアー、ザ・ホンダ・クラシックで悲願の優勝。「本当におとぎ話のようだ」というメジャータイトルまで手にしてしまった。
プレーオフでハミルトンに敗れたアーニー・エルス(南ア)は、レベルこそ違うが、世界中でプレーすることで知られている。それだけに、表舞台に出てこない選手達やツアーの事情に詳しい。
「世界中でプレーしていれば、色々な選手とあちこちで会えるし、会えば楽しく話もする。メディアやみんなは、アメリカとヨーロッパしか気にしていないけど、世界はとても広くて、いい選手がいっぱいいるんだ」。エルスが、世界中のプロ達に送った最高のエール。ハミルトンだけではなく、この言葉が心に響いた選手は数え切れないはずだ。